
わをるぬの人生歴
- 正博 川上
- 3月2日
- 読了時間: 3分
更新日:4月4日
私、わをるぬがどんな人生を歩んできたのか、書いていこうと思います。
母曰く、幼い頃から集団に馴染めず、隠れているような子供でした。小さい頃から、手芸や折り紙など、工作的なことをすることが多かったです。
上の写真は私が設計したメジロの作品です。折り紙作品創作家の方々から見たら、自然な設計とは言えそうにないです。比率やら円領域分子法やら、私には理解できないことが多い分野でした。だけど、他の人の作品を折るのは得意で、当時SNSに投稿していました。
小さい頃から変わり者だった私は、好きになる相手が男性でした。同姓を好きになるってなかなか言えなくて、って感じでした。
聴覚過敏があり、学校ではイヤーマフというヘッドホンのようなものをして音を塞いでいたりしましたが、耳が痛くなるし、外した時の反動でより音が大きく聞こえて苦痛でした。
そんな私ですが、ピアノを習っていました。今でもインベンション・シンフォニアは弾けて平均律は楽譜を見れば弾ける程度の力はあります。ただら当時は耳の聞こえが悪くなったり、手を負傷したりして大変でした。同時期に、怖い映像を頭の中に自然と思い浮かべてしまい、夜、嗚咽しそうになる感じが1年半ほど続き、辛い時期も経験しました。学校は途中から通信制に移行し、その後、イラストやデザインの学校に進学しました。
進学してというもの、人との距離感は難しかったですが、楽しく過ごせていました。しかし、2年目の初めに精神の病気にかかってしまいました。壮大なビジネス計画とマッチングアプリがストレスになっていたんだと思います。妄想が止まらなくなってしまい、宇宙人が世界の秘密に気づいた私を引き取ろうとしている、自分はイエスキリストの生まれ変わりなんだ、などもっとたくさんの妄想が起こり、体も苦しかったです。それで、世界が終わりに急速に向かってると思い、家の中で奇妙な行動をしたりしたので、その後精神病院に連れて行かれ、医療保護入院となりました。その先でのことは、ここでは書くのは控えますが、とても大きな体験となりました。
それからは薬物療法で妄想も徐々に落ち着いてきましたが、男の人に好意を抱く気持ちが減ってしまいました。私は同性愛だったのか?よくわからなくなってしまいました。女性の人と結婚なんて最初から考えられなかったわけで、次は男性の人ともなんか違う?私が特異な性別観を持ってることは間違い無いです。入院してる時も男性の看護師さんかっこいいなと思ったりはありましたが、僕が思う理想の性は存在しないのかなとも思ったりします。
私が絵に男性をあえて描くのは前からの習慣みたいなものですが、私がみにくいと思う社会的性別観を理想化するためにモチーフとして選んでいるということでもあります。
退院してから、1年ほど、期間は長くかかりましたが、また絵が描けるようになってきました。それで現在に至ります。精神病、性的マイノリティ、自閉症スペクトラムを経験しているからこそ、人に伝えられるものがあるかもしれないと思い、絵画制作に取り組んでおります。
以上で私のこれまでの人生についての話を終わります。随時サイトは更新していこうと思うので、このサイトをマークしていただけるとありがたいです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ではまた、みなさん良い一日をお過ごしください。
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